一度止まって、考えて。

皆さんは、良かれと思ってしたことが迷惑になった経験はありますか?

 

寄付した服が大量に余っているということをニュースや本から耳にしたことがある人が多いと思う。

しかしそれを聞いてもなお、私たちはそれを「必ずしも悪いことではない」と思い込んでいる。

それは元々善意から始めたことが迷惑になっていると受け入れるのは、考えるのも気づくのも容易なことではないからだ。

もし自分が善意から行なっていたことが否定されたらそれを受け入れるのは容易ではないだろう。

 

私は普段編み物をしている。そのほとんどが自分の作りたいものを自分のために作っている。

それを活かし新しく買った糸ではなく自分がもう着ない洋服で編むことで、自分の元で再利用することができると考えた。

 

 自分の手で作ることはとても大変である。特に布だったからか、編みにくくほつれも出てくる。

比べものにはならないだろうが、それが今世界のどこかで誰かが抱えている生きにくさと似ているように感じた。

 

黒木嘉乃