共存の狭間で         野元 穂乃佳

 

今、狩猟者の高齢化と減少によって、狩猟は隘路に立っている。

 

狩猟が隘路に立っているのと同様に、実は環境における循環を目指している自然環境保全

(野生生物の保護)も隘路に立っていると考えられる。

 

 

今年はこれまでにないほど、野生生物が人里に降りてきたニュースを目にするようになった。

 

日本では、ニホンジカの個体数の増加を問題とし、個体数を把握し、生息管理をしながら捕獲していく狩猟を行なっている。

 

鹿によって樹皮が剥がされ、新芽を食べ尽くされた木々は枯れ、鹿が増加した森は生態系が崩れ、衰退していく。

植生への大きな被害が顕著になっている。

 

鹿やその他の動物は、生態系が崩れた山から人里に食べ物を求めて降りてくる。

 

農作物を食べてしまい、農家の人のやる気は削がれてしまう。

 

しかし、狩猟が野生生物の命を奪っていることには変わりはない。

 

 

自然環境保全や野生生物保護について議論が進むなか、狩猟の今日的意味を見つめた。

 

 

山の神様への祈りから一日が始まり、命への感謝で一日が終わる。

 

祖父と父が狩猟免許を持っていた関係で、私は 0 歳の時から山に連れて行かれ、

狩猟とともに暮らしてきた。

 

狩猟をした鹿や猪の肉を食べる生活が、当たり前となっていた。

 

父に付いて山を歩き、狩猟方法やルール、狩った動物がどう処理されるのかなどを撮影した。

 

私の父が所属しているグループでは、山の中で見つけた動物の死骸や

仕留める時に苦しんで死んでしまった動物に塩をかけて供養したり、

解体をする前に動物へ手を合わせたりと命への感謝を忘れない。

 

 

自然環境の変化は、元を辿れば人間による木々の伐採、環境汚染が原因である。

 

しかし、増え続けてしまった動物により被害がある以上、それを止めるのも人間だと思う。

 

私たち人間も含めた動物、植物、生物全体の循環、生物多様性のあり方、

全ての命への向き合い方を考える必要がある。

 

今は狩猟で個体数を管理しているが、今後は里に降りてきた野生動物を保護したり、

動物によって被害を受けた人を救済したりすることも必要である。

 

 

この狩猟をテーマとした作品を通して、少しでも多くの方が自然環境の保全と野生生物保護

について目を向け、改めて考えるきっかけになってほしいと思う。

 

 

撮影にご協力いただいたハンターの皆さん、父、祖父に、心より御礼申し上げます。