小さいころ 道端で見かけたブロック塀の穴が人の顔に見えて怖かった
今はもう怖くなくなったものの ふとした瞬間 顔に見えるものがある
それは存在が減ったのか 自らが見る力を失ってしまったのか
人は 何かしらに「顔」を見出すことがある
ただ「見立てている」だけ ただ「思い込んでいる」だけ
そう考えると 視野は狭くなってしまうが
「そうかもしれない」と見方を変えると 以前より世界は広く見える
では 「顔」とは何なのか?
何をもって「それ」を「顔」と認識するのか
人間の不可思議さを探求してみる
人はなぜ、野菜に顔をつくり出そうと思ったのか
表情は多種多様
いつもと同じ、はずだった
君とはどんな話ができるのだろう
二つ眼とは限らない
はじめは何もない場所に
人間は「何か」を見出そうとする
そこに正解はなく
あるのは一人ひとりの解釈・考え方
作り出すことが自分を守る武器ならば
探し出すことで見える世界があるならば
「くだらない」 「無駄だ」 と 決めつけ
捨ててしまったものの中に
大切なものがあるのではないだろうか?