堆積と光

 

2021年4月、祖父母が亡くなってから数年後。住む人が消えた家と大量の物が残されていた。親類がかわるがわる訪れ片付けをした。その過程を3年間撮影した。

 

要るもの要らないものを判別する中、この家の思い出が空っぽになっていくことを恐れた。記録という方法で変化に抗った。

 

生きた人間の痕跡、生活に込められた祈り、分解されていく記憶。そのかけらの一部をここに留めたい。

2023年11月、家の姿が変わっても降り注ぐ光の感触は昔のまま。

 

私が生まれてから暫くはこの家の二階にいた。柔らかな光と敷布団の記憶は二十数年越しに見ても同じだった。母の子供の姿のモノクロ写真にも変わらない光が写っていた。同じ部屋、同じ光が時空を超えて重なった。

 

十数年前の新年会、親族でぎゅうぎゅうにつまっていた応接間。いま同じ場所には人の代わりに大量のアルバムで埋め尽くされていた。物と人の立場が置き換わった。それでも、記憶の温もりは変わらずここにある。

 

ものが無くなっても形が変わっても写真にしたものは変わらない。色褪せて擦り切れても、今の光を残したという事実がここに残る。