霊峰 富嶽

 

 富士山は、終わりの無い被写体である。一瞬たりとも同じ光景は二度とない。 幼い頃から身近な存在であった私も、一度綺麗に感じた景色を二度見ることは今までなかった。 そんな「富士山」に魅了され、四季折々足を運んだ。

 山自体も、山頂付近での強風による岩崩れ、冬季の雪崩などによって僅かに山の形も変わってきている。 富士山と言うと綺麗な線対象な円錐状の山のイメージがあると思われるが、山梨側もしくは静岡側から見る方向により 形が変わり、同じ県内でも形が異なる面白い山でもある。

 日本には「山岳信仰」の文化があり、 国土の7割以上を山地が占める日本に住む人々にとって山は水や木・動物と言っ た生きるために大切な物を届けてくれる反面、火山噴火や土砂崩れ等の恐ろしい災害をもたらす、まさに神のような存 在として共存してきた。その信仰対象の一つに「富士山」がある。そこには孤高の美しさだけでなく、荒ぶる噴火によ り神の住む山として畏れ崇められてきた。 古の人々にとって、富士山は遠くから仰ぎ見て崇拝する遙拝の対象であった。その富士の噴火を鎮める目的で山の麓 に浅間神社が建立され、現在においても多くの信仰者である「富士講」の人々によって崇敬されている。晩夏には「鎮火祭・火祭り」が執り行われている。

 現在も、夏になると多くの登山者が御来光を拝んだり、お鉢めぐりをするために富士山の山頂を目指す。