何も無いと想うのも 何か在ると信じるのも
きっと心にしかできないこと
在ると思えば 何処にでも在る
寄り添う心の拠り所
「在り来たる」
在り来たる、その意は “もとから存在し続けてきたこと” 。
私はその言葉に妖(あやかし)を重ねる。それは私たちが歩むよりも遥か先に在って、土地の記憶と人々の想いのなかで漂ってきた心の現れ。気持ちの隙間で悪戯するような妖しさの表象。はじめからそこに在って、どこにでも在ること。
しかし、私たちはすぐ傍に在るありふれた光景に心を向けようとしない。不透明なものを飲み込めず、感じることを見失ってしまう。一方で、解らないものに踏み込まず、信じることを手放そうする。自らが目に写したものに真実を委ね、そこに在る意味に目を向けないように。
だから私は、ありきたりな景色の中で在り来たる何かを真実として写し出す。
誰かの存在、何かの存在。
誰かの何か、何かの何か。
そこにむのは積み重ねられた記憶と想いが結実する姿。
それは過去から続き、幾久しく在り続ける幽きもの達。
現に写る妖しさを擽る存在が私たちに残していくのは、感じて信じる心のありよう。無いと思うから無いのかもしれない、在ると思えばきっと何処にでも在る。心に身を委ねることで、いつも傍にあるもうひとつの世界を感じる出逢いとなる。それは見えているものが全てではないことの気付き、在る意味の証である。
日々のなかで在ることを見失わないように。
それは きっと心にしかできないこと。