2022年3月、私は初めて道北を訪れた。雄大な自然、北国特有の文化はどれも目新しく、しかしどこか寂しく映った。

 

高校を卒業して以来、久しぶりに再会した同級生がカメラマンを探していると言った。二つ返事で名乗り出た。北海道という場所にこだわりはなかった。人口300人ほどの小さな村で地域おこしをしている会社と契約した私の仕事は、日本最北の鉄道、JR宗谷本線の各駅舎と沿線風景の記録。鉄道写真の経験がなかった私は戸惑いつつも、自然風景や建築写真の経験を活かして撮影を始めた。

 

北海道の雄大な自然は季節ごとにその表情を大きく変え、私を飽きさせることなく魅了し続けた。約半年が経ち、街の内外に少しずつ知り合いが増えてきた頃、駅に関する地元のイベントで集合写真の撮影を頼まれることがあった。

都会とは異なる人間関係に戸惑い、今ひとつ馴染めていなかった私は、写真を通じて初めて地域の人との距離を縮めることができた気がした。

それから私の関心は、仕事として撮る鉄道から、宗谷線と沿線に暮らす人々の関係性へと移っていった。

私は2年間におよそ20回、道北へ赴いた。

 

1日数本のワンマン列車は野生動物や天候に日々翻弄されながら運行されている。都会の鉄道とは随所に違いが見られる宗谷線だが、担う役目はほとんど変わりがない。朝は隣町まで通学する学生がホームに列を作り、お昼には観光客が、夕方には買い物帰りの地元民が利用する。

どこの町にも中心には駅があり人がいる。私はいつからか、そこに温かみを感じるようになっていた。

しかし、全国的にローカル線と呼ばれる地方の鉄道は失われつつある。宗谷線も例外ではない。5月に撮影した恩根内駅は、半年後には駅前の廃屋と一緒に解体が進んでいた。来年の春にはきっと跡形もなくなっているだろう。人口減少と代替交通手段の発展、社会構造の変化の中で、日本最北の鉄道はその存在がゆらいでいる。

かつて北海道の北の果て、宗谷を目指した人々の痕跡が消えてゆくことに悔しさを感じる私に気がついた。

一枚でも多く人の暮らしがある温もりを残し伝えたいと思いながら、私はシャッターを切る。