去年初めてフィリピンに行った。自分の人生に何か刺激を求めて、1人で旅にでた。
行く国をなぜフィリピンにしたのかというと日本からたった4.5時間でいける国だからという適当な理由であった。
フィリピンに初めて行った時、日本から来ている観光客はほとんどおらず、驚いたのを覚えている。
日本に帰ってきてからは、フィリピンのあの独特な匂い、整備されてない道、小さな子供たち全て恋しく思った。
そこから5ヶ月後、またフィリピンに行った。
そこでスモーキーマウンテンやハッピーランドというトンド地区のスラム街があることを知った。
危ない場所とはわかっていたが、どんなところなのか気になって恐る恐る行ってみた。
その2つの場所は、異臭はもちろん街はゴミに埋め尽くされていた。
日本にいた時には見れなかった家庭やお店からのゴミの山をみて、日本で育った私にはすごく衝撃的だった。
最初は強張っていた顔も優しくフレンドリーな子供達や街の人に癒され、
私の心は幸せに満たされ最後には笑顔になった。もちろん危ない場所ではあるが、
自分の足で海外に行き世界の現状を目の当たりにすることは、とても大切なことであると学んだ。
日本でもこの2つの場所を知っている人はいると思うが、実際に足を運んだ人はどれくらいいるのだろうか?
私は実際に行ってみて、もっと日本の人にこの場所を知ってほしいと強く思った。
そこで卒業制作を通してハッピーランドとスモーキーマウンテンを多くの人に知ってもらうために、
3回目のフィリピン訪問で撮影をした。
Smokey Mountain
約60年前、現在のスモーキーマウンテンは 平和な漁村だった。 1954年、政府はフィリピンの都市、マニラの家庭ゴミを漁村に投棄し始め、風景が変わり始めた。土壌が変わり、海は毒され魚はどんどん少なくなり、 ついに漁師たちは漁業で家族を養う ことができなくなった。
やがて人々は、自分たちの村に捨てられている ゴミが生活の糧になることを知る。 そして漁師たちは漁具を売り払い、スカベンジャー(清掃入) となった。
法的な許可を得ていないにもかかわらず、彼らは家を建て 不法占拠者と呼ばれるようになった。80年代初頭にはモンス ーンにより泥が他の ゴミと混ざり合い、 今日のような山ができた。ゴミが腐敗するとメタンガスが発生し、 ゴミの山から火が出て、 ゴミ山はいつも煙に包まれ、スモーキーマウンテンと呼ばれるようになった。
HAPPYLAND
この場所は以前 「ハピラン」と呼ばれていた。現地の言葉で「ゴミ捨て場」という意味である。
よりユニークで印象深いものにするために 「ハッピーランド」と呼ばれるようになった。
ハッピーランドはスモーキーマウンテンのようなゴミ捨て場で 、ここに住んでいるのは廃品回収業者で、
そのほとんどがフィリピン南部出身の人たちである。
RECYCLING
住人の半数が 、紙やプラスチック、空き、アルミニウムなどを拾い、廃品回収業者に売ることで生計を立てている。
1日の平均日収は、約100~300ペソ ※1 フィリピン・ペソ=4円にしかならない。
そのため、1日にトラック約500台分のゴミが運びこまれ 、100人以上が先を競うようにしてゴミ捨いをしている。
中には、角を曲がるためにスピードを落としたトラックの荷台から取ろうとする若者もいる。
ゴミの値段は、ブリキ PHP7/kg、ミネラルボトル PHP20/kg(汚れたものはPHP15/kg)、 プラスチック PHP11/kgなどである。
松村茉奈